カオ・トゥイー・ニー

北海道での撮影で感じた日越のつながりを映画で表現したい 映画監督 カオ・トゥイー・ニー 北海道東川町で撮影された越日合作の長編映画『目を閉じれば夏が見える/Nham Mat Thay Mua He』(2018年)の監督を務めたカオ・トゥイー・ニーさん。幼少期に生き別れた父親を探して北海道東川町へやってきたベトナム人女性と日本人男性カメラマンとの切ない恋愛、そして町の人々とのふれあいを描いた   友人の誘いがきっかけで北海道で映画製作が実現 ホーチミン市演劇映画大学の映画監督学科を卒業したニーさんは、テレビ番組やミュージックビデオ(MV)などの監督を勤めたメディア企業時代の同僚からの誘いで、初監督作品となる『目を閉じれば夏が見える』を製作することになった。 「北海道東川町の映画ワークショップに友人のファム・タイン・タン(Pham Thanh Tan)さんが参加したのです。彼は東川町の美しさに魅せられて、どうしてもこの町で映画を撮りたいと、『目を閉じれば夏が見える』の構想を話してくれました」 現地で知り合ったプロデューサーの初瀬川晃さんの協力を得てニーさんたちは映画のデモ版を製作し、東川町から制作費の一部を提供してもらえることに。そうして2016年から2018年までの2年をかけて日本人とベトナム人の合同チームが製作に取り組んだ。 [...]

グエン・ティ・トゥエット・チン

ビンズオン省の発展のため 子どもたちに日本語と日本文化を伝えていきたい 日本語教師、 「ゆき先生の日本語センター」創立者 グエン・ティ・トゥエット・チン ベトナムと日本で日本語教育の訓練を受けたグエン・ティ・トゥエット・チンさん。ビンズオン省に住む子どもたちがマンガやアニメについて自由に交流し、日本文化も学んで体験できる場所を作りたいと考え、日本語センターを設立した。日本語とのかかわりと、子どもたちに日本語を教えることの意味を聞いた。 日本語教育に力を入れるビンズオン省 日本文化も伝える場を立ち上げ 2009年、ビンズオン省は中学・高校生の日本語教育を推進するため、ホーチミン市師範大学で日本語を学ぶ生徒を募集した。当時高校を卒業したばかりのチンさんはこれに応募し、選ばれた。 「実は、日本や日本語が好きで応募したわけではありません。企業や工場が多く集まるビンズオン省で日本企業の進出が進んでいて、日本とベトナム、特にビンズオン省との協力関係が広がっていると感じたんです。だったら日本語教育も発展するポテンシャルが高いと思い、応募することにしました」 2013年に卒業したチンさんは、ビンズオン省の中高生に日本語を教え始めた。 「生徒たちの多くはマンガやアニメなど、日本文化が大好き。でも省内には日本について学んだり体験したりできる場所がまだなかったのです。そこで、日本での研修を終えた後、2019年にビンズオン省で『ゆき先生の日本語センター』を立ち上げました」 センターでは日本語に加えて、日本の文化やマナーを伝えることも重視。設立当初は小中学生が対象で、週3回のレッスンのうち1回は日本文化を紹介する授業にあて、茶道、おにぎりの作り方、祭りなど、日本文化を紹介した。しかし当時の保護者たちは、子どもがマンガやアニメ、コスプレに熱中することをよく思わず「無駄な趣味」とみなす人が多かったという。子どもたちを日本語センターに通わせることに否定的な保護者たちを目の当たりにして、チンさんは彼らのそんな考え方を変えたいと思った。 「学びへの意欲は興味や趣味から生まれます。何かを好きになれば、自動的にそれを深く追い求め、結果学びにつながると思っています」 そこで、日本文化の授業ではゴミの分別や食事の後片付けなど、日本の子どもたちが身につけるマナーを教え始めた。しばらくすると、保護者たちは子どものマナーがよくなってきたことや、子どもたちが自らインターネットで日本語を学ぶ姿などを目にし、安心して信頼を寄せるようになった。 [...]

山本 遊(やまもと ゆう)

ミシュランが認めたソムリエ ベトナムは人生の全てを変えた ルア/ヘッドソムリエ 山本 遊(やまもと ゆう) 2023年にベトナムで初めて発行された『ミシュランガイド ハノイ ホーチミンシティ』。セレクテッドに選ばれたビストロ「ルア/LỬA」で、ヘッドソムリエとしてワインの多彩な楽しみ方を提案しているのが山本遊さんだ。山本さんは店と共に同誌でベトナム初の「ソムリエアワード」を受賞。世界が認めたワインの伝道師がベトナムを語る。 ソムリエとして掴んだ栄冠 ワインの新たな価値観をベトナムに 2023年6月にハノイで開催されたミシュランガイドの授賞式。そこで山本遊さんの名は一躍国内外に轟いた。特別賞のひとつ「ソムリエアワード」が贈られたのだ。ソムリエとしての技術や知識のほか、ベトナムで知られていない数々のワインを意欲的に取り入れるなど、ワインの普及に対する貢献が認められての受賞だった。 「本当に人生が変わる程の影響がありました。日本人だけでなく、ベトナム人や各国の旅行者など、店のお客様も増えました。当然、高い期待が寄せられますが、それも良いプレッシャーと感じています」 日本でソムリエとして約15年間にわたり飲食業界の第一線を走ってきた山本さんだが、ベトナムへ渡ったのは2021年のこと。ミシュラン星付きレストランで勤務し、海外で働くチャンスを伺っていた折に受けた、ビストロ「ルア」オーナーシェフからの誘いがきっかけだった。しかし、いざ渡越してみると日本や他国との違いを感じることもあった。 「当初のベトナムには、ワインの種類がまだ多くありませんでした。しかし、よく探してみると、現地ではあまり知られていないけれど、海外で良いとされる掘り出しものが手に入ることもあるんです。昨今のベトナムはワインブーム。今後は世界的な品が入り、種類も増えてくると期待しています」 [...]

野原 弘平(のはら こうへい)

育ててくれたベトナムへの恩返しITと優秀な人材で新たな価値を作る ワコンチェ/ヴェッコイ代表取締役 野原 弘平(のはら こうへい) 高い技術力を持つベトナムのエンジニアを活かしたラボ型開発で、日本のIT業界を支える「ワコンチェ/Wacontre」の野原弘平さん。2016年からは人材サービス事業へも活躍の場を広げ、求人サイトの運営から人材紹介、自社開発のツールを用いた組織管理など、ベトナムでの会社運営に役立つ各種サポートを行っている。   ITを軸に柔軟に業態を変化自立したプロの共同体を目指して 学生時代から海外と繫がりを持つビジネスサークルに入り、起業や海外での活動に興味を持っていたという野原さん。そんな彼が2010年、数ある国の中から距離的・文化的に近く、今後の発展性を考え選んだのがベトナムだった。 「まずはホーチミン市からハノイまでバスで縦断して視察を行いました。親切な人々や活気に沸く街並みに、ワクワク感が募りました」 当初、事業内容として決めていたのは「IT関連業務」のみ。そこでまずは自社のECサイトを作りベトナム製絵画の販売を始めた。その後はウェブサイト制作やシステム構築など企業からの案件が相次ぎ、社員数も増えていった。 しかし、日本からの受注案件では、どうしても指示をこなす受け身仕事に終始しがちになる。事業自体は順調だったが、自社の発展にはより自律的な組織作りが必要とされた。「会社のために自ら考えて動く」、そんな社員になってもらうにはどうすれば良いか。自問自答を繰り返す日々に、変化が訪れた。 「ちょうどオフショア開発からお客様が直接開発を行うラボ型に業務の軸を移した頃のこと。手の空いた弊社のエンジニアに自社アプリやウェブサイトの開発をしてもらいました。始めたのは求人サイトなどのベトナム国内向けのサービスです。すると、みんな生き生きと仕事をしてくれるようになったんです。ベトナムの人々や現地企業がお客様となるため、社員とお客様の間に直接の接点ができたことで、自発的に取り組んでくれるようになりました。もともとが優秀な人たちなので、意識や動機付けが合えばきちんと返してくれると気づかされました。おかげで日本人のお客様への対応を、今ではベトナム人スタッフが行ってくれることも。ふとしたきっかけでしたが、個々が専門性を持ち、自立したプロの共同体になれたことはとても嬉しいですね」   社会の基本はベトナムが教えてくれたこの国の価値を高めるサービスを提供したい [...]

ダン・カオ・クオン

日本マンガブームの仕掛け人としてマンガ編集者を育てていきたい キムドン出版社/コミック本編集委員長 ダン・カオ・クオン メディアイベントの開催を通して『ワンピース』、『ポケットモンスター』、『ワンパンマン』などをベトナムでヒットさせた立役者の一人ダン・カオ・クオンさん。コミック・マンガ編集者として可能性に富んだ日本のマンガを探し、版権を積極的に取得しながらベトナムでのマンガ人気に貢献し続けている。   幼少期からのマンガ好きが高じてマンガ編集者に 多くのベトナム人の子どもと同じように、クオンさんは小さな頃から『ドラえもん』や『ドラゴンボール』などの日本のマンガを読むのが大好きだった。お金がなかった当時はマンガを借りるしかなく、新刊が出るたびに真っ先に借りに走った。マンガの世界でしかありえない想像を超えたストーリーに魅了されたためだ。 「ジャーナリズム・コミュニケーション学院で編集を専攻してから現在まで、マンガ編集の仕事が大好きです。子どもの頃に夢見たように毎日マンガが読めるのが嬉しいですね」 大手出版社キムドン社で大好きな仕事に就いたクオンさんだが、編集を学んだとはいえ、ベトナムにはマンガ編集に関する専攻がないため、最初は少し戸惑ったという。出版の成功の難しさは、編集作業のだけに限られているわけではないからだ。 「最も難しいのは、読者、出版パートナー、著者の要望のバランスを取ることですね。読者はマンガのアイテムの収集やイベントにも参加したい一方で、日本の出版社から購入できる版権上の限界があり、マンガ家からの要求にも応えなければいけません。また、出版のタイミングや、若者が手に取りやすい価格の設定も慎重な検討が求められます」 仕事で壁にぶつかったとき、クオンさんは尊敬するマンガ家の藤子・F・不二雄さんの話を思い出す。 「キムドン社が正式に著作権料を支払い出版許可を得たいと申し出た時に、藤子・F・不二雄さんは『そのお金をベトナムの貧しい子どもたちに使ってほしい』とおっしゃったことを先輩から聞きました。それが奨学金制度『ドラえもん教育支援基金』の始まりでした。この話を思い出すことで、『ドラえもん』のような素晴らしい作品をベトナムの読者に届けたいという初心に立ち返ることができるんです」   マンガ編集者としての日本との特別な関わり マンガの出版に携わることで、クオンさんは日本でマンガ博物館を訪れることもできた。藤子・F・不二雄ミュージアムを訪れた時は、藤子・F・不二雄プロの経営者から直接、藤子・F・不二雄さんの人生やマンガ制作の過程などにまつわる心温まる話を聞くことができた。 [...]

ゴー・トゥアン・アン

日越の考え方や労働文化の違いの調整役 日本企業のビジネス環境づくりに貢献したい トランスコスモスベトナム/副社長 ゴー・トゥアン・アン 立命館アジア太平洋大学の経営学部を優秀な成績で卒業後、日本での会社勤めを経てベトナムの日系企業「トランスコスモスベトナム」に入社したアンさん。コールセンターやデジタルマーケティングなどのビジネスプロセスアウトソーシング(BPO)産業にも精通し、会社からの信頼を得て現在は副社長を務めている。日本の文化と規範をよく理解している強みを活かして、日系企業のビジネスに貢献している。 外国人を歓迎してくれる 温かい日本に出会えてよかった 「高校時代、日本の印象は非常に薄かった」というアンさんは、あるセミナーで立命館大学の奨学金制度を知った。海外へ出るチャンスだと応募して無事に合格したものの、海外留学での生活を知らず地震も恐れていた両親は大反対。冒険好きなアンさんは、それでも日本留学を決行した。 「渡航前に日本語を学ぶ時間は3ヶ月しかありませんでした。授業はすべて英語で行われたので、日本語をできるだけ上達させて日本の生活に早く溶け込むために、和太鼓クラブに入って日本人の友人をたくさん作りました。おかげで日本語だけでなく、努力や勤勉の意味も学ぶことができました」 入部当初は、「ただの趣味の活動なのに、どうしてこんなに厳しい練習をしなきゃいけないんだろう」と、かなり煩わしく感じていた。その思いは、ステージで演奏した時に一掃された。 「観客からの熱い声援は感動的でした。1つひとつの活動や仕事に真剣に取り組むことの大切さを実感しました」 日本自体にあまり関心がなかったアンさんが、日本留学を通して「この国と長く付き合いたい」と思うようになるまで、そう時間はかからなかった。 「日本人はとても親切でした。来日したばかりの頃、道に迷っていると通りがかりの人たちが車で目的地まで連れて行ってくれたことがありました。また、欧米諸国に比べて、日本は外国人の就労を積極的に受け入れています。おかげで、日本が身近に感じられるようになりました」 成績優秀だったアンさんは、文部科学省から奨学金を受け、将来の日越関係の発展に貢献するためにグローバルビジネスリーダー育成プログラムに参加。卒業後は、東京の日本企業に就職したものの、家庭の事情でベトナムへの帰国を余儀なくされた。ホーチミン市の日系企業での勤務を経て2015年に「トランスコスモスベトナム」に入社し、現在は同社の副社長を務めている。 仕事における考え方や進め方 [...]

田中 卓(たなか たく)

生産者と飲食店の橋渡し現地の食品流通改革に貢献 カメレオCEO兼ファウンダー 田中 卓(たなか たく) 農協のような仕組みがないベトナムで、生産者と飲食店の間に起きる様々な流通課題。テクノロジーと自社流通網を駆使し、その効率化を目指す人がいる。ベトナム初の飲食店向けBtoB仕入れプラットフォーム「カメレオ/KAMEREO」代表の田中卓さんだ。   ベトナムで念願の飲食業界へ独自システムで業務効率化を手助け 「幼い頃から飲食店をするのが夢でした。1度は証券会社で働いたものの、飲食業の方々のお話を伺ううちに、やはり『飲食の道に行きたい、成長中の活気のある国で勝負をしたい』と思い、海外に目を向けるようになりました」 しかし、知らない海外でゼロからの起業はハードルが高い。そこで経験を積むべく新興国を中心にリサーチを開始。興味を抱いたホーチミン市の日系レストランで採用を勝ち取り、ベトナムへ渡った。しかし、ベトナムの飲食や食材業界を知るにつれ、様々な課題に気がついた。 「日本には農協や大手卸売業者があり、農産物の流通経路が確立されています。一方、ベトナムの飲食店は市場や複数の卸業者から個々に仕入れることが多い。発注方法が都度異なる上、受発注のミスなど多くの問題がありました」 その経験を活かし2018年に独立、「カメレオ」を立ち上げた。提供するのは多彩な商品を一堂に揃えた受発注システム。ワンクリックで一括注文でき、数量や金額もシステム上で管理できるようにした。しかし、受発注の処理や配達は利用企業が行うため、商品を間違えたり配達が遅れたりと問題が頻出した。 「そこでダラットに集荷場を作り、自社で野菜を仕入れ販売する形に変更。配送も自社で行い、川上から川下まで網羅するサプライチェーンを構築しました。提携企業はレストランのほか、コンビニエンスストアや学校、病院など約2000社。日本人は私しかいませんが、現場のオペレーションから日々の改善まで、ベトナム人スタッフに助けられています」   アイデア次第で可能性は無限今後もベトナムでの事業に注力 [...]

グエン・キム・ガン

サプライチェーンと技術移転の研究で日越の経済発展を支えたい 経済学博士 グエン・キム・ガン 経済的に恵まれない家族で生まれ育ったグエン・キム・ガンさんは、貧困から抜け出すために全力で勉強し、日本で経済学博士として企業のサプライチェーンの強化や日越技術移転などの支援に尽力。また、非営利団体「ベトアジ/BETOAJI」の仙台支部長として社会貢献活動にも従事している。   夢をかなえる努力の先に日本との出会いがあった 経済学者のガンさんは、陽気な笑顔を浮かべながら日本へ渡ったきっかけを語る。 「小学校から高校までの間、友達が寝ている時間に、母を手伝うために早朝4時に果物を市場へ運んだり、放課後の5時からは市場でバナナやランブータンなどの果物を売ったりしていたので、いつも洋服が汚れていました」 小ぎれいな格好で果物を買ってくれる銀行員たちの姿を見て、「将来は銀行員になろう」と決心。必死に勉強してホーチミン市銀行大学を卒業した後は、晴れて銀行に就職した。 「子どもの時の夢が叶ったのに、生きがいはどんどんなくなってしまいました。信用調査部で働いていたとき、サプライチェーン管理が弱い企業をサポートしようにも知識が少なく何もできなかった経験から、サプライチェーンの知識を身につけるという新たな目標ができたのです」 大手日系企業で働く兄から日本の教育環境の良さを聞いたガンさんは、日本留学の機会を探し始めた。奨学金に何度申し込んでも落ち続けたときは、日本のことわざ「継続は力なり」を思い出して挑戦し続けた結果、ついに奨学金を受けて東北大学への入学が実現した。 「現在は大学院経済学研究科の助教として講義を担当するほか、サプライチェーンの研究も行っています。この分野の専門家になるために、一歩一歩進んでいるところです」 日越の経済交流や技術移転の促進という3つ目の大きな夢もできた。 「日本で暮らすうちに日越の架け橋になりたいと思うようになりました。現在は経済交流の促進に向けて、ベトナムのビジネスサプライチェーンに関する日本企業向けのセミナーの準備を進めています。将来は日越技術移転センターの実現にも関わりたいと思います」   [...]

巽 千華(たつみ ちか)

ベトナムが誇る舞台芸術をベトナムと世界の人々へ伝えたい アラベスクダンスカンパニー/ダンサー 巽 千華(たつみ ちか) ベトナムの舞台芸術は近年、世界でもその魅力が注目され始めている。日本人でありながら、同国のコンテンポラリーダンス界の最前線を走る「アラベスクダンスカンパニーベトナム/Arabesque Dance Company Vietnam」の巽千華さん。ベトナムはアーティストとしての自分にとって、大きな存在と語る。     欧州でのプロ活動から転身東南アジアの舞台に飛び込む ホーチミン市のオペラハウスをはじめとした国内劇場をはじめ、ヨーロッパや韓国、日本での公演も行う「アラベスクダンスカンパニーベトナム」(以下、「アラベスクベトナム」)。代表作の『ザ・ミスト/The Mist』などでメインダンサーを務める巽さんは、オランダでプロとして活躍していたが一転、ベトナムへの道を選んだ。 「欧州での生活は充実していましたが、慣れ親しんだ環境に成長の壁を感じる部分もありました。そんな時、私が幼い頃にダンス留学生として同じ日本のバレエ教室で学び、旧知の仲だったグエン・タン・ロック監督に相談したところ、彼の劇団に誘われて2015年にベトナムへ来ることになったんです」 [...]

種田 基希(たねだ もとき)

ベトナムの魅力をカメラで切り取る 写真を通じた日越交流 フォトグラファー 種田 基希(たねだ もとき) 時にしっとり、時に爽やかに。ファッショナブルでありながら、シネマティックな色合いと南国の空気感を纏ったエキゾチックな人物写真が魅力の写真家・種田基希さん。現地の人々が見せる仕草や表情、ファインダー越しにそれらと日々向き合い続ける彼にとってのベトナムの魅力とは。 現地写真家の作品に衝撃 職を辞し、一路ベトナムへ 「北海道の写真館で勤務していた時にできた友人が、ベトナム人の技能実習生だったんです。そこでベトナムの写真事情に興味がわき、現地の写真コミュニティを調べてみると凄い写真家がたくさんいました。彼らのスタイルは日本とは全く違う。そこで、この国をもっと知りたいと退職し、2020年にホーチミン市へ移住しました」 七五三や家族写真など、写真館で日本スタイルの撮影に明け暮れていた種田さん。日本ではふんわりとした雰囲気の写真が流行りだったが、ヨーロッパ風のメリハリあるスタイルと、中国や韓国風のポップな色彩を合わせもつベトナムの写真に衝撃を受けた。そこでコミュニティに連絡を取ると、「よかったら話をしよう」、「スタジオをぜひ見に来てよ」と好感触。新たな出会いに胸を膨らませ、ベトナムの地を踏んだ。 「全てが新鮮でした。日本では写真は綿密に計画を立てロジカルに撮るもの。しかしここではスタジオであっても感覚的に、その場の雰囲気や状況に合わせて自由に組み上げていました。ホーチミン市には小さなスタジオが大量にあり、それぞれがコンセプトやテーマに沿った創作活動をしている。利用料金も手頃で、気軽に撮影できる環境が整えられていることに驚きました」 ベトナムで自身の作品を作るにあたり、モデルはベトナム人を起用した。フェイスブックで公募すると、すぐに100人程の応募者が集まった。 「内容を読んでいないのか、募集要項に沿わない人からの応募が多く、選考が厳しい時もありました。しかし、写真好きな国民性からか、アマチュアながら高いスキルを持つ人も多い。ポージングやセンスに違いがあるため、指示出しには今も苦労しますが、得意なポーズを厳選するなど、モデルさんの個性を生かすような撮影を心がけています」 ヘアメイクや衣装など、撮影には他のサポートスタッフの存在も欠かせない。 [...]