レー・ズイ・タン
日本留学は人生の幸運お世話になった恩を返していきたい 情報科学博士、ベトナム国家大学ホーチミン市校・国際大学教授 レー・ズイ・タン 来日したことは「運命」。ベトナム国家大学ホーチミン市校・国際大学で教鞭を執りながらAIoTの研究にいそしむレ・ズイ・タンさんは、日本への留学中に多くの日本人に助けられたことで今の自分があると話す。ベトナムに戻った今は、自分の専門分野を通して両国の架け橋になることを強く願っている “日本に選ばれた”けれど日本語では四苦八苦 “ 幼い頃から『ドラえもん』や『ポケモン』などのマンガやアニメに親しみ、耐久性の高い日本製バイクや家電製品で日本を知っていたタンさん。日本語の勉強は、大学3年生の時に日本語クラブから誘われたことがきっかけだった。 「何か目的があったわけでもなく、あまりまじめに勉強をしませんでしたから、1年経ってもなかなか上達しませんでした」(笑) そんなタンさんが最終学年の時、先輩のSNS投稿を見て日本留学の一歩目を踏み出す。北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)の修士課程の奨学金に申し込んだのだ。 「『何をするにも最初が難しい』ので、実は奨学金申請が通らなくても当然だ、くらいに思っていたんです」落ちても当たり前。そんな心境から緊張することもなく面接を受けたところ、合格通知を受け取った。「日本が私を選んでくれました」 そうしてやってきた日本でまず困ったのは、日本語だった。奨学生たちはJAISTに近い石川県・小松空港に到着するはずだったが、いくつかの問題により愛知県の中部国際空港に到着。そこから電車で名古屋の中心街に着いたのは深夜12時だった。重い荷物を持ち、慣れない日本の晩冬の風は冷たく、なにより日本語がおぼつかない。泊まる場所を見つけようとしても、行く先々で「No English」と断られ続けた。 「この時に、日本語をちゃんと勉強しなければならない、と決心がつきました」 到着した夜はその後、英語ができる親切なブラジル人がインターネットカフェに連れて行ってくれたという。 日本に慣れる努力をすると色々な人が応援してくれた [...]
中谷 茜理 (なかたに あかり)
屈託のないベトナムが性格も人生も変えてくれた Y YouTuber/女優 中谷 茜理 (なかたに あかり) チャンネル登録者数17万人を超える「アンカリルーム/aNcari room」で、ベトナムの人々から熱烈な支持を受けるYouTuberの中谷茜理さん。国民的作曲家を題材に2022年に公開された『エム・ヴァー・チン/Em Va Trinh』で女優としてベトナムの銀幕デビューも果たした彼女に、ベトナムへの思いを聞いた。 大学での親友との出会い気がつけばベトナムが近くにあった 日本人と外国人留学生が共に学ぶ立命館アジア太平洋大学。そこで出会った親友がベトナムから来た留学生だったことを機に、中谷さんとベトナムの繋がりが始まった。 「ルームシェアをしていたベトナム人の親友とたまたま相性があって、彼女の里帰りに同行したことを機に、ベトナムに興味を持ち始めました」 [...]
マイ・ホアイ・ジャン
日本とベトナムを文化を通してつなぐことが自分の使命 ラロマ社創業者、代表取締役 マイ・ホアイ・ジャン フエから銀座通りにベトナムの人力三輪車シクロを持ち込み、2023年9月にはフエ王宮で日本マンガ祭を開催するマイ・ホアイ・ジャンさん。フエ女性として伝統文化を守るだけでなく、日本とベトナムを文化でつなぐことに注力する。 故郷への郷愁から、フエのシクロを銀座の街に ベトナム中部の古都フエで生まれ育ったジャンさんは、日本語教師だった母親の影響で日本文化に親しんできた。ベトナム外交学院1年生のとき、奨学金を得て立命館アジア太平洋大学の国際関係学部へ留学したことが、日本と深く関わる出発点となった。 「当初、大学を卒業したらベトナムに帰るつもりでした。しかし、内閣直属の教育再生懇談会で留学生としてスピーチを行ったことが転機となり、考えが変わりました。留学生活の次のステージとして、日本での仕事を選んだのです」 勤めた日本企業では、マーケットマネジャーとしてベトナムの企業と接する機会が多かった。仕事を通して祖国への想いが強くなる中で、「フエやベトナムのために何かしたい」という思いが湧いてくる。2017年には日本とベトナムの文化をつなぐプロジェクトを核にラロマ社を設立した。 「最初に実施したプロジェクトは、銀座通りでフエのシクロに乗る体験を日本人に提供する『シクロリムジン』です。幼い頃によく祖母と一緒にシクロで市場へ行ったものでしたが、現在ではこの文化が徐々に存在感を失いつつあります。シクロの美しさを残したいという思いから、このプロジェクトに乗り出しました」現在は、フエの手工芸品を日本に広めるプロジェクト「フエ匠」を準備している。 ベトナム人でありながら 日本は自分の一部 20年近く日本で暮らし、働いてきたジャンさんは、家庭と仕事を両方していくために多くの困難に直面した。「大変な思いをするたびに周りの多くの日本人に助けられ、乗り越えてきました」 上司や同僚、友人たちが厳しいながらも非常に熱心で、多くの貴重な教えを与えてくれたと話す。 「シクロリムジンでは、車体の輸入からシクロの免許申請、無料試運転まで多くの難しいプロセスを経て、1年以上をかけて最初のお客さんを獲得しました。フエのシクロ文化の保存と普及に尽力したいという思いに加え、自分の一部となっている日本の精神のおかげで、どんな困難にも耐えられたのかもしれません。私自身はフエの女性ですが、考え方や仕事の進め方の9割は日本の影響を受けています」 フエのマンガフェスティバルなど日越文化交流事業を推進 [...]
田崎 広野(たざき ひろの)
両国の異なる言語を駆使し日越交流の更なる発展を願う 通訳・翻訳者 田崎 広野(たざき ひろの) 語学の専門家として、日越間の関わりを影で支える田崎広野さん。ビジネスから医療、出版まで、様々なジャンルの通訳・翻訳を手がけ、彼女にお世話になった人や企業は数多い。ベトナム語にとことんこだわることで、両国の交流のお手伝いができればと熱く語る。 ベトナムで出会った衝撃から通訳・翻訳の世界へ 高校生の頃は得意の英語を活かし、北米への進学に興味を持っていたという田崎さん。しかし、大学受験のタイミングで父親から「今後は東南アジアが重要視される」とアドバイスを受けて方向を転換。英語とアジア言語の両方を専攻できる新設の学科に入学し、そこで選んだのがベトナム語だった。しかし、大学のプログラムで初めてベトナムを訪れた際、衝撃的な体験をする。 「学んでいたのはハノイの言葉。ホーチミン市を訪れたので全く通じませんでした。その悔しさからもっと知りたいと思うようになり、交換留学へ1年間行くことにしました」 留学によりベトナム語は上達したものの、今度は語学を使ってベトナム自体をより知りたくなった。そこで、卒業後すぐにベトナムの大学院へ通うことに。後に現地日系企業で翻訳の職も得て、通算8年ほどベトナム暮らしが続いた。 「日々充実していましたが、日本での社会人経験のなさを感じて2011年に日本へ帰国しました。現地の経験を活かした仕事に就いたものの、事務職ではなく更にベトナム語を突き詰める仕事がしたくて。2016年に会社を辞め、フリーランスの通訳・翻訳者になりました」いざ始めてみると新たな課題も見えてきた。 「ベトナム中部の言葉は本当に難しい。特に司法通訳では地方の方と対面することが多く、かつ、間違いは許されない分野。自分以外にベトナム語を分かる人がいない現場がほとんどなので、今でも苦労しています」そんな時に強い味方となってくれるのが、これまで築いてきたネットワークだ。 「大学院時代の友人は高学歴・高収入の方が多い一方、プライベートな知り合いではサービス業や職人の方も。自分の経験だけでは知り得ないような自然な表現やスラングの確認など、幅広い社会の層と関係を築けたことは本当に役立っています」 何があっても大丈夫人生の背中を押してくれたベトナム ベトナムとの関わりは仕事だけでなく、自身の性格にも変化を与えた。「何があっても大丈夫。なんとかなる」と楽観的になったと話す。 [...]
グエン・ハイ・アイン・トゥアン
日本での“大変”な生活を支え役に立つ情報をベトナム人に届けたい TAIHENネットワーク創業者 グエン・ハイ・アイン・トゥアン 15年にわたり日本に暮らし、IT業界とマーケティング業界で活躍するグエン・ハイ・アイン・トゥアンさんは、100万人以上のフォロワーがいるベトナム人向けSNSを運営する「TAIHENネットワーク」設立者だ。ITとマーケティングの知識を生かして、日本での生活とベトナム人の橋渡しを行うと共に、日本で新たなビジネスも展開する。 日本での一人暮らしを充実した人生に変える ホーチミン市工科大学の1年生だったトゥアンさんは、日本の文部科学省奨学金を獲得して大阪と熊本県に留学した。学費や家賃などがすべて支給される奨学金のおかげで、生活自体は問題がなかったが、外国ならではの寂しさを初めて体験した。 「外国人研修生と違い、留学生の私はお金の問題はありませんでしたが、15年前は日本で暮らすベトナム人が少なくて、ベトナム人と話す機会がほとんどありませんでした。ひとりぼっちで暮らして、留学した自分の決断を疑ったこともあったんです」 孤独から逃れようと、トゥアンさんは在日ベトナム学生青年協会に参加。会のSNSチャンネルの運営を担当することで他の在日ベトナム学生人と繋がり、日本の生活に楽しみを見つけた。 「2012~2013年当時はフェイスブックグループに参加するベトナム人学生がとても多く、生活、エンタメ、旅行など日本生活全般に関する話題が盛り上がりました。IT業界で就職した後も、3~4年ほど運営サポートを続けました」 2017年には、学生だけでなく、すべての在日ベトナム人に向けて日本での生活情報をベトナム語で配信するフェイスブックファンページ「TAIHEN」を立ち上げた。 「すべての在日ベトナム人と日本に興味があるベトナム人に、役立つ情報を届けたくて。日本生活を理解している私なら、日本のベトナム人コミュニティに誰よりも有意義な貢献ができると思ったんです」 「TAIHEN」は最大規模の在日ベトナム人コミュニティページに育っていった。 社会貢献プロジェクトからビジネス機会が見つかる フォロワーが増えるにつれ、トゥアンさんはITの知識を生かして生活、エンタメなどカテゴリ別のファンページやニュースサイトを新設。これら10ほどの「TAIHEN」ページを運営するため、日本で一般社団法人「TAIHENネットワーク」を設立し、正式に事業をスタートさせた。 [...]
和田 良子(わだ りょうこ)
やりたいことが形になる国閃きから生まれた人気コスメ 「タラン」オーナー 和田 良子(わだ りょうこ) ベトナム中部の街ホイアンを拠点にオーガニックコスメを製造・販売する和田良子さん。幼少期のアトピーをきっかけに始めたブランド「タラン/taran.」は、初の訪越から7年を経て、今や在住外国人はもとより多くのベトナム人ファンも持つ人気ブランドとなった。 友人との旅行が人生の転機に苦手な語学はスタッフに支えられ克服 「日本で観光業として洋菓子店の店長をしていた頃、友人に誘われ旅行でダナンを訪れました。当時は街の場所はおろか、ベトナムのことすらよく分かっていないほど。来てみると豊かな自然や活気に湧く街に、観光地としての可能性を感じました。ただ、それなのになぜか良いお土産がない。勿体ないと思いましたね」 そんな彼女の前に、旅先のマッサージ店でひとつのヒントが舞い降りた。使用されていた自然由来のオイルの高い品質に驚いたのだ。 「アトピー性皮膚炎の症状を持っていたので、幼い頃からオーガニックのコスメには慣れ親しんでいました。良い素材はあるのに、お土産や自分用に気軽に購入できる製品がない。そこでベトナムの素材を生かしたオーガニックコスメブランドをやろうと考えました。20代のうちに起業したいと思っていたこともあり、多くのチャンスには出会えないと、帰国時には既に何をやるか構想を固めていました」 日本へ戻ると早速ベトナム関連の企業を訪問するなど情報収集に走った。そして旅行からわずか4ヶ月後にベトナムへ移住。ハノイでカフェの立ち上げに携わりつつ2017年、念願の自社ブランド「タラン」をダナンで設立。スタッフを雇い、専門家の手を借りながらコスメの開発に勤しんだ。 「実は英語もベトナム語も、語学が得意な方ではないんです。最初は言葉の問題に不安もありました。しかし、ベトナムの大学では第二外国語に日本語選択があるため、アルバイトをしながら一生懸命に日本語を学んでくれる学生の多くに本当に助けられました。中には学生時代4年間働いてくれた後に日本へ行った方もいて、今も連絡をくれたりすると、とても嬉しいですね」 当たり前は国それぞれ違いを受け入れ心強い仲間に [...]
グエン・トゥアン・フン
日本での研究職の道をあきらめず量子材料の世界の扉を開く 物理学博士 グエン・トゥアン・フン 東北大学物理学博士のグエン・トゥアン・フンさんが初めて日本へ留学してから約9年が経つ。ベトナムと日本の違いを乗り越え、量子物理学へのあくなき好奇心を持ち続け、研究職の道を明確に見出してきた。両国のより良い関係のために、自らの知識や経験を日々、日本や祖国の同胞に伝え続けている。 日本留学の夢をあきらめない「七転八起」 フンさんは2010年にハノイ工科大学機械工学部の学生としてアジア・太平洋ロボットコンテスト「ABUロボコン」に参加し、落選した。意外なことに、これがフンさんへ新しい未来を切り開いた。 「コンテストに落ちて悔しかった私は、京都大学から戻られたベトナム人教授による材料シミュレーションプロジェクトに参加し、そこで日本への留学を勧められました。材料の研究に興味がわいて『日立スカラーシップ』と『AUN/SEED-Net』の奨学金に申し込みましたが、落ちました」 日本との縁が終わり、研究職には進めないと考えたフンさんは失意のまま、卒業後はニャチャンで建設業界に就職。辛かった当時、大好きな本『カーボンナノチューブの物理的性質』(原題:Physical Properties of Carbon Nanotubes)を思い出し、著者である東北大学の齋藤理一郎教授にメールを送った。 「先生の励ましを受けて、文部科学省奨学金(MEXT)に申し込みましたが、また落ちました。それでも諦めずに東北大学の学生向けの奨学金『MDプログラム』を申請しました。これは東北大学への入学が必須条件でしたので、8割の確率で合格できると見込み、お金のない私は日本へ行くことを決めました」 [...]
山田 貴仁(やまだ たかひと
ベトナムでの活動に後悔なし恐れずに正解は自分で作る 建築家/3Dデザイナー/スタジオ・アネッタイ代表 山田 貴仁(やまだ たかひと 半屋外、緑豊かな内装と、南国の気候を活かしたトロピカルな作品が特徴の建築設計事務所「スタジオ・アネッタイ/studio anettai」。ベトナムの施工業者と手を取り合い、建築から3D制作まで幅広く手がける同社代表の山田貴仁さんに、ベトナムとの関わりを尋ねた。 インターンで訪れた会社に就職現地ならではの慣習に驚き 「大学院の研究室が各国のコンバージョン(建物の用途の変更を伴うリノベーション)を研究するところで、しばしばタイなど東南アジアの国々へ調査旅行に行っていました。そのため漠然と東南アジアに惹かれていたのですが、ベトナムへ来ることになったのは、在学中に学校へベトナムの建築事務所から人員の募集があり、応募したのがきっかけです。まずはインターンから始め、卒業後に正式に就職し戻ってきました」 設計事務所では数年働いた後に卒業し、転職や独立をする人が多い。山田さんも約5年の勤務の後、独立。日本へ帰国する道もあったが、退職時に仕事の引き合いがあったため、ベトナムで設計を続ける選択をとった。「2019年当時、ベトナムには既に複数の日本人建築家がひしめき合っており、そのまま普通に設計を続けても面白みがないと強く感じました。そこで建築に近しい領域である不動産経営やホステルの設立に挑戦しました。その際に立ち上げたのが今の会社です」 現在は設計や3Dパースの業務を軸に、住宅からレストラン、オフィスやクラブ、美術館など、多種多様なジャンルを手がけている。クライアントは日系企業だけでなく、ベトナム企業も多い。 「業務を通じて日本と大きく違いを感じるのは、まず作り始めること。最初にデザインを決め切らず、ある程度の図面を基に修正しながら走り切る途上国ならではのスピード感は、実はクリエイティブとの相性が極めて良いと感じています。トラブルを回避することを目的とせず、その都度対応する柔軟なやり方は驚きとともに学ぶことばかりです。」 一見ゆるさを感じるかもしれないが、その分完成までの速度が速いなどのメリットもある。また、不具合が発生した場合も施工現場が修正に馴れているため焦ることがなく、「それならこうすれば良い」と気づかせてくれることも多いという。 現地企業と共に歩む今では頼りになるパートナーも [...]
ヴゥ・テゥイ・リン
ベトナム水産業の発展のためにフグ食文化を根付かせたい ふぐ処理師・食物栄養学博士 ヴゥ・テゥイ・リン ベトナムで「フグ博士」と呼ばれるリンさんは、フグの捕獲も食べることも法的に禁止されているベトナムにおいて、フグの養殖・加工・輸出を実現し、海産分野における日越の協力を推進するために邁進している。フグ食文化をベトナムに根付かせたいというリンさんの人生は、フグ一色だ。 日本で実現したフグと運命的な出会い ベトナム国家大学ハノイ校日本語学科の学生だったリンさんは、新卒でミツイ水産に入社するまで、フグのことを全く知らなかった。フグは同社の主力商品で、下処理から製品加工までフグに関わるすべての工程を行う。仕事をすればするほどフグの面白さに目覚め、会社を辞めて十文字学園女子大学でフグを研究することを決意した。 「フグの業界で働いているのはほとんどが男性で、女性の私にとって不利な点がかなりあります。フグの知識や日本語の専門用語を覚えるのも一苦労で、疑わしい目で見られることもあります。一方、そんな私の頑張りを見て、ミツイ水産代表取締役の伊藤吉成さんや、十文字学園女子大学の山本茂教授をはじめとする、多くの日本人がとても熱心に協力してくれました」 フグに関する博士論文の審査に合格した後、リンさんはミツイ水産に復職した。ベトナムと日本の食品輸出入を促進し、両国の良質な製品の市場を拡大するなど、学んだ専門知識を商業の分野で活かしている。 「日本では、自分の夢を見つけ、どのように生きていきたいかを考えることができました。常に最高水準の品質を目指す姿勢や仕事の進め方などについて、多くのことを学びました。上司やパートナー、お客様などからの信頼と評価は、私が常に大切にしている貴重な贈り物です」 ベトナムにおけるフグ製品の可能性を切り開く フグにこだわってキャリアを築いていこうと決意していたものの、その先には不安があった。だがベトナムの沿岸地方でフグの調査をしたことで、具体的な道筋が見えてきたという。 「ベトナムはフグのポテンシャルが高い国ですが、毒性が懸念され、養殖などが禁止されています。漁師さんたちがフグの豊富な資源を活かして生活を向上できないことに、非常に危機感を覚えました。ベトナムでフグ製品の可能性を引き出し、漁師の方々の苦しみを軽減するお手伝いをしたいと思ったのです」 安全で味もよく、経済的価値のあるフグのことを知ってもらうために、ベトナムでのフグに対する認識を変える必要があるとリンさんは考えた。 [...]
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