カオ・トゥイー・ニー
北海道での撮影で感じた日越のつながりを映画で表現したい 映画監督 カオ・トゥイー・ニー 北海道東川町で撮影された越日合作の長編映画『目を閉じれば夏が見える/Nham Mat Thay Mua He』(2018年)の監督を務めたカオ・トゥイー・ニーさん。幼少期に生き別れた父親を探して北海道東川町へやってきたベトナム人女性と日本人男性カメラマンとの切ない恋愛、そして町の人々とのふれあいを描いた 友人の誘いがきっかけで北海道で映画製作が実現 ホーチミン市演劇映画大学の映画監督学科を卒業したニーさんは、テレビ番組やミュージックビデオ(MV)などの監督を勤めたメディア企業時代の同僚からの誘いで、初監督作品となる『目を閉じれば夏が見える』を製作することになった。 「北海道東川町の映画ワークショップに友人のファム・タイン・タン(Pham Thanh Tan)さんが参加したのです。彼は東川町の美しさに魅せられて、どうしてもこの町で映画を撮りたいと、『目を閉じれば夏が見える』の構想を話してくれました」 現地で知り合ったプロデューサーの初瀬川晃さんの協力を得てニーさんたちは映画のデモ版を製作し、東川町から制作費の一部を提供してもらえることに。そうして2016年から2018年までの2年をかけて日本人とベトナム人の合同チームが製作に取り組んだ。 [...]
野原 弘平(のはら こうへい)
育ててくれたベトナムへの恩返しITと優秀な人材で新たな価値を作る ワコンチェ/ヴェッコイ代表取締役 野原 弘平(のはら こうへい) 高い技術力を持つベトナムのエンジニアを活かしたラボ型開発で、日本のIT業界を支える「ワコンチェ/Wacontre」の野原弘平さん。2016年からは人材サービス事業へも活躍の場を広げ、求人サイトの運営から人材紹介、自社開発のツールを用いた組織管理など、ベトナムでの会社運営に役立つ各種サポートを行っている。 ITを軸に柔軟に業態を変化自立したプロの共同体を目指して 学生時代から海外と繫がりを持つビジネスサークルに入り、起業や海外での活動に興味を持っていたという野原さん。そんな彼が2010年、数ある国の中から距離的・文化的に近く、今後の発展性を考え選んだのがベトナムだった。 「まずはホーチミン市からハノイまでバスで縦断して視察を行いました。親切な人々や活気に沸く街並みに、ワクワク感が募りました」 当初、事業内容として決めていたのは「IT関連業務」のみ。そこでまずは自社のECサイトを作りベトナム製絵画の販売を始めた。その後はウェブサイト制作やシステム構築など企業からの案件が相次ぎ、社員数も増えていった。 しかし、日本からの受注案件では、どうしても指示をこなす受け身仕事に終始しがちになる。事業自体は順調だったが、自社の発展にはより自律的な組織作りが必要とされた。「会社のために自ら考えて動く」、そんな社員になってもらうにはどうすれば良いか。自問自答を繰り返す日々に、変化が訪れた。 「ちょうどオフショア開発からお客様が直接開発を行うラボ型に業務の軸を移した頃のこと。手の空いた弊社のエンジニアに自社アプリやウェブサイトの開発をしてもらいました。始めたのは求人サイトなどのベトナム国内向けのサービスです。すると、みんな生き生きと仕事をしてくれるようになったんです。ベトナムの人々や現地企業がお客様となるため、社員とお客様の間に直接の接点ができたことで、自発的に取り組んでくれるようになりました。もともとが優秀な人たちなので、意識や動機付けが合えばきちんと返してくれると気づかされました。おかげで日本人のお客様への対応を、今ではベトナム人スタッフが行ってくれることも。ふとしたきっかけでしたが、個々が専門性を持ち、自立したプロの共同体になれたことはとても嬉しいですね」 社会の基本はベトナムが教えてくれたこの国の価値を高めるサービスを提供したい [...]
ダン・カオ・クオン
日本マンガブームの仕掛け人としてマンガ編集者を育てていきたい キムドン出版社/コミック本編集委員長 ダン・カオ・クオン メディアイベントの開催を通して『ワンピース』、『ポケットモンスター』、『ワンパンマン』などをベトナムでヒットさせた立役者の一人ダン・カオ・クオンさん。コミック・マンガ編集者として可能性に富んだ日本のマンガを探し、版権を積極的に取得しながらベトナムでのマンガ人気に貢献し続けている。 幼少期からのマンガ好きが高じてマンガ編集者に 多くのベトナム人の子どもと同じように、クオンさんは小さな頃から『ドラえもん』や『ドラゴンボール』などの日本のマンガを読むのが大好きだった。お金がなかった当時はマンガを借りるしかなく、新刊が出るたびに真っ先に借りに走った。マンガの世界でしかありえない想像を超えたストーリーに魅了されたためだ。 「ジャーナリズム・コミュニケーション学院で編集を専攻してから現在まで、マンガ編集の仕事が大好きです。子どもの頃に夢見たように毎日マンガが読めるのが嬉しいですね」 大手出版社キムドン社で大好きな仕事に就いたクオンさんだが、編集を学んだとはいえ、ベトナムにはマンガ編集に関する専攻がないため、最初は少し戸惑ったという。出版の成功の難しさは、編集作業のだけに限られているわけではないからだ。 「最も難しいのは、読者、出版パートナー、著者の要望のバランスを取ることですね。読者はマンガのアイテムの収集やイベントにも参加したい一方で、日本の出版社から購入できる版権上の限界があり、マンガ家からの要求にも応えなければいけません。また、出版のタイミングや、若者が手に取りやすい価格の設定も慎重な検討が求められます」 仕事で壁にぶつかったとき、クオンさんは尊敬するマンガ家の藤子・F・不二雄さんの話を思い出す。 「キムドン社が正式に著作権料を支払い出版許可を得たいと申し出た時に、藤子・F・不二雄さんは『そのお金をベトナムの貧しい子どもたちに使ってほしい』とおっしゃったことを先輩から聞きました。それが奨学金制度『ドラえもん教育支援基金』の始まりでした。この話を思い出すことで、『ドラえもん』のような素晴らしい作品をベトナムの読者に届けたいという初心に立ち返ることができるんです」 マンガ編集者としての日本との特別な関わり マンガの出版に携わることで、クオンさんは日本でマンガ博物館を訪れることもできた。藤子・F・不二雄ミュージアムを訪れた時は、藤子・F・不二雄プロの経営者から直接、藤子・F・不二雄さんの人生やマンガ制作の過程などにまつわる心温まる話を聞くことができた。 [...]
田中 卓(たなか たく)
生産者と飲食店の橋渡し現地の食品流通改革に貢献 カメレオCEO兼ファウンダー 田中 卓(たなか たく) 農協のような仕組みがないベトナムで、生産者と飲食店の間に起きる様々な流通課題。テクノロジーと自社流通網を駆使し、その効率化を目指す人がいる。ベトナム初の飲食店向けBtoB仕入れプラットフォーム「カメレオ/KAMEREO」代表の田中卓さんだ。 ベトナムで念願の飲食業界へ独自システムで業務効率化を手助け 「幼い頃から飲食店をするのが夢でした。1度は証券会社で働いたものの、飲食業の方々のお話を伺ううちに、やはり『飲食の道に行きたい、成長中の活気のある国で勝負をしたい』と思い、海外に目を向けるようになりました」 しかし、知らない海外でゼロからの起業はハードルが高い。そこで経験を積むべく新興国を中心にリサーチを開始。興味を抱いたホーチミン市の日系レストランで採用を勝ち取り、ベトナムへ渡った。しかし、ベトナムの飲食や食材業界を知るにつれ、様々な課題に気がついた。 「日本には農協や大手卸売業者があり、農産物の流通経路が確立されています。一方、ベトナムの飲食店は市場や複数の卸業者から個々に仕入れることが多い。発注方法が都度異なる上、受発注のミスなど多くの問題がありました」 その経験を活かし2018年に独立、「カメレオ」を立ち上げた。提供するのは多彩な商品を一堂に揃えた受発注システム。ワンクリックで一括注文でき、数量や金額もシステム上で管理できるようにした。しかし、受発注の処理や配達は利用企業が行うため、商品を間違えたり配達が遅れたりと問題が頻出した。 「そこでダラットに集荷場を作り、自社で野菜を仕入れ販売する形に変更。配送も自社で行い、川上から川下まで網羅するサプライチェーンを構築しました。提携企業はレストランのほか、コンビニエンスストアや学校、病院など約2000社。日本人は私しかいませんが、現場のオペレーションから日々の改善まで、ベトナム人スタッフに助けられています」 アイデア次第で可能性は無限今後もベトナムでの事業に注力 [...]
グエン・キム・ガン
サプライチェーンと技術移転の研究で日越の経済発展を支えたい 経済学博士 グエン・キム・ガン 経済的に恵まれない家族で生まれ育ったグエン・キム・ガンさんは、貧困から抜け出すために全力で勉強し、日本で経済学博士として企業のサプライチェーンの強化や日越技術移転などの支援に尽力。また、非営利団体「ベトアジ/BETOAJI」の仙台支部長として社会貢献活動にも従事している。 夢をかなえる努力の先に日本との出会いがあった 経済学者のガンさんは、陽気な笑顔を浮かべながら日本へ渡ったきっかけを語る。 「小学校から高校までの間、友達が寝ている時間に、母を手伝うために早朝4時に果物を市場へ運んだり、放課後の5時からは市場でバナナやランブータンなどの果物を売ったりしていたので、いつも洋服が汚れていました」 小ぎれいな格好で果物を買ってくれる銀行員たちの姿を見て、「将来は銀行員になろう」と決心。必死に勉強してホーチミン市銀行大学を卒業した後は、晴れて銀行に就職した。 「子どもの時の夢が叶ったのに、生きがいはどんどんなくなってしまいました。信用調査部で働いていたとき、サプライチェーン管理が弱い企業をサポートしようにも知識が少なく何もできなかった経験から、サプライチェーンの知識を身につけるという新たな目標ができたのです」 大手日系企業で働く兄から日本の教育環境の良さを聞いたガンさんは、日本留学の機会を探し始めた。奨学金に何度申し込んでも落ち続けたときは、日本のことわざ「継続は力なり」を思い出して挑戦し続けた結果、ついに奨学金を受けて東北大学への入学が実現した。 「現在は大学院経済学研究科の助教として講義を担当するほか、サプライチェーンの研究も行っています。この分野の専門家になるために、一歩一歩進んでいるところです」 日越の経済交流や技術移転の促進という3つ目の大きな夢もできた。 「日本で暮らすうちに日越の架け橋になりたいと思うようになりました。現在は経済交流の促進に向けて、ベトナムのビジネスサプライチェーンに関する日本企業向けのセミナーの準備を進めています。将来は日越技術移転センターの実現にも関わりたいと思います」 [...]
巽 千華(たつみ ちか)
ベトナムが誇る舞台芸術をベトナムと世界の人々へ伝えたい アラベスクダンスカンパニー/ダンサー 巽 千華(たつみ ちか) ベトナムの舞台芸術は近年、世界でもその魅力が注目され始めている。日本人でありながら、同国のコンテンポラリーダンス界の最前線を走る「アラベスクダンスカンパニーベトナム/Arabesque Dance Company Vietnam」の巽千華さん。ベトナムはアーティストとしての自分にとって、大きな存在と語る。 欧州でのプロ活動から転身東南アジアの舞台に飛び込む ホーチミン市のオペラハウスをはじめとした国内劇場をはじめ、ヨーロッパや韓国、日本での公演も行う「アラベスクダンスカンパニーベトナム」(以下、「アラベスクベトナム」)。代表作の『ザ・ミスト/The Mist』などでメインダンサーを務める巽さんは、オランダでプロとして活躍していたが一転、ベトナムへの道を選んだ。 「欧州での生活は充実していましたが、慣れ親しんだ環境に成長の壁を感じる部分もありました。そんな時、私が幼い頃にダンス留学生として同じ日本のバレエ教室で学び、旧知の仲だったグエン・タン・ロック監督に相談したところ、彼の劇団に誘われて2015年にベトナムへ来ることになったんです」 [...]
グエン・ティ・トゥー・ニア
観光発展による地元への貢献の夢から社会的に影響を与える仕事が目標に アジア開発銀行研究所キャパシティビルディング&トレーニングアソシエイト職員 グエン・ティ・トゥー・ニア 大手日本企業の若手リーダー育成プログラムへの参加後、グエン・ティ・トゥー・ニアさんは日本でもっと多くのことを学べると確信し、日本の大学院に入学。日本で身につけたマナーや習慣を個人で発信しつつ、ベトナムを含む政府機関のために人材育成コースを企画・研究する仕事を担当している。 日系企業での研修を機に日本留学を決断 人気観光地ダナンで生まれ育ったニアさんは、地元の観光産業の発展に貢献したいとの思いから大学で英語学部を選んだ。1ヶ月で世界一周をする「ピースボート」がダナンを訪れた際は、現地のボランティアガイドとして日本人にダナンを案内し、一緒に食事をしたり、歌ったり踊ったりした。 「日本人や日本文化に触れたことで、当時の夢だったアメリカ留学以外に、日本への留学にも興味を持つようになりました」 2017年にはアジア太平洋地域の若手リーダーを育てる大手日本企業のイノベーショングローバルリーダーのプログラムに参加。英語が堪能で実務経験が3年以上あり、社会的課題解決への強い関心をもつ人のみが参加できる内容だ。 「これが人生のターニングポイントとなりました。研修で得た学びから、自分がどのような社会的影響を与えられるかを常に考え、より良い社会を構築するために行動することを心掛けるようになったんです」 その後、修士号の取得のために日本の大学院留学の機会を模索。2017年の文部科学省(MEXT)の奨学金申請には通らなかったものの、翌年には新潟の国際大学(IUJ)の奨学金を獲得して日本留学を実現させた。 「若手リーダーの育成研修も実は2回目の申請での合格でした。1度失敗してもあきらめずに、再度チャレンジすることが大切なのだと思います」 日本の文化やマナーが好き日・越の文化を紹介する動画も作成 [...]
山本 岳人(やまもと たけひと)
インフルエンサーになった青年海外協力隊員ベトナムと共に日本の地方を元気にしたい 国際協力機構(JICA)青年海外協力隊「番組制作」ベトナム隊員 山本 岳人(やまもと たけひと) ベトナムテレビ外国語放送局(VTV4)の日本語放送番組『ジャパンリンク/Japan Link』で、番組の制作サポートを行う山本岳人さん。広報の一環として始めたティックトック(TikTok)動画が話題を呼び、今やフォロワー数50万人を超える人気インフルエンサーとなった。 日本の地域活性化を目指し青年海外協力隊員の道へ 地元である石川県のテレビ局に入局し、過疎化や産業の衰退など、地方都市が抱える諸問題に触れてきた山本さん。地域の活性化には国内だけでなく、海外との繫がりも必要と感じるようになった。そんな折、偶然見つけた国際協力機構(JICA)海外協力隊員の募集に運命を感じ応募。テレビ局を休職し2021年9月、ベトナムの地を踏んだ。 「石川県の在住外国人の中で最も多いのがベトナムの人々なんです。そこで赴任するならこの国と最初から決め、2度目の受験で念願のベトナムにやってくることができました」 海外での暮らしや仕事は初めてだったが、勤務先がテレビ局ということもあり日常業務に支障は感じなかった。主な仕事は現地スタッフが翻訳した原稿を、ネイティブとして自然な日本語にすること。しかし、着任から2ヶ月ほど経た時、新たな課題に気がついた。 「外国語放送ということもあり、そもそも番組自体の認知度が低い。そこで広報業務を主軸に活動することにしました。ただ、『番組を見てください』と伝えるだけでは視聴者に何も届かない。まず私のファンになってもらおうと、ありのままの生活をティックトックやユーチューブ(YouTube)、ブログで配信することから始めました」 街を散策したり、美味しそうにベトナム料理を食べたり。内容は現地の生活を心から楽しむ山本さんの日常だけ。ところが自国に好意を持つ外国人の姿に多くの若者が飛びついた。今では街を歩けば道行くベトナムの人々から声をかけてもらえるようにもなった。 「視聴率のような具体的な指標がないため、実態調査はできていませんが、ティックトックでの番組紹介は平均で20万回以上再生されています」 [...]
グエン・ティ・チャー
日越のよりよい関係のために日本でベトナムの魅力を広めたい 千葉県船橋市役所市長公室国際交流課/国際交流員 グエン・ティ・チャー 日本語の学習環境が少ないベトナム中部で、グエン・ティ・チャーさんは、高校時代にアニメ好きが高じて日本語の勉強をはじめた。ハノイ貿易大学に入学後は、日本語スピーチコンテストなどに積極的に参加しながら日本に行く夢を育て、ついに実現。現在は千葉県船橋市の国際交流員としてベトナム文化を広める仕事について楽しげに語る。 数学専攻から日本語学部を目指し 日本で国際交流員に ベトナム中部ゲアン(Nghe An)省で生まれ育ったチャーさんは、高校1年生から『ワンピース』などのアニメにはまり、ベトナム語字幕のないアニメを見るために日本語の勉強を始めた。 「当時、地元には日本語教師がいなかったので、インターネットを利用しての独学でした。ヴィン大学附属英才高等学校の数学専攻の生徒が大学入試で日本語学部を受験することは話題となってしまい、反対意見や皮肉も言われましたが、日本語の勉強を続けてハノイ貿易大学日本語学部のビジネス日本語専攻に合格しました」 当初は「アニメを見るため」の日本語学習だったが、学べば学ぶほど日本に行きたい思いが強くなり、訪日に向けて一歩ずつ進んでいった。 「大学の日本語クラブや日本語スピーチコンテストに参加し、たくさんのいい出会いができました。『ナジックカップ』では最優秀賞を受賞して初めて日本へ行きました。新宿駅で終電に乗り遅れた時、やさしい日本人の方がホテルまで送ってくださり、日本人の温かさを実感できました。2019年には交換留学生として一橋大学に半年間留学し、帰国後には『ビジネスプランコンテスト』で三井物産賞をいただきました。これらの経験を通してもっと日本で生活をしたいと思い、戻るチャンスをずっと探していました」 そうして2022年8月には語学指導等を行う外国青年招致事業「JETプログラム」に参加。現在は千葉県船橋市の国際交流員となり、「アニメで見た日本のような生活」を楽しんでいる。 [...]
荒島 由也 (あらしま ゆうや)
ベトナムの溢れるエネルギーに吸い寄せられ起業食を通じて日越の発展に寄与したい スターキッチン/スター・コンサルティング・ジャパン創業者兼CEO 荒島 由也 (あらしま ゆうや) 荒島由也さんはジェトロ・ホーチミン事務所の「食品・農林水産分野コーディネーター」も務める食のプロ。日本の洋菓子を中心とした料理教室のほか、各種スイーツの製造・卸・販売や、日系企業の進出支援も行っている。両国を食で繋ぐ、そんな彼にとってのベトナムとは。 可能性を感じ起業を果たすも思わぬ食文化の差に苦戦 「日本では経営コンサルティング会社に勤務していましたが、いずれは独立を考えていました。市場の成長や可能性から注目したのがアセアン地域。中でもこの10年で最もチャンスがあると感じたのがベトナムでした。特に日本で経済成長を経験したことがない自分は、まさに“バブルの勢い”に飛びこんで勝負がしたかったんです」 当時のベトナムは成長に貪欲で、上昇志向のエネルギーに満ちていた。しかし、経済成長は著しくも、人々には趣味の選択肢が少ないように思えた。そこでクッキングスタジオ「スターキッチン/STAR KITCHEN」を立ち上げた。 「試食会を開くと毎回約200名もの申し込みが殺到しました。ただ、同時に思わぬ違いにも気づきました。日本で料理教室といえば自分磨きのイメージ。ところがこの国では家族や恋人のためにケーキを作りたいという動機が多かったんです」 「作り方を学ぶだけでなく販売もしてほしい」との要望に応え、洋菓子の製造・販売を開始。コンビニエンスストアやカフェへの商品提供も始めた。現地の日系デパートへ出店も果たし、その勢いは増すばかりに見えた。ところが、いざ店舗販売を始めると、思うように売上げが伸びない。 「ベトナムではお菓子の甘さは果物が基準だったんです。日本で菓子作りを学んだパティシエですら、果物だけを食べたいと言うほど。洋菓子は砂糖や油脂が多すぎる。さらにケーキは誕生日など特別なイベントで食べるもので、日常的ではなかったんです」 確かに現地のお菓子といえば塩気のある食べ物やスナック菓子か、ゆでたサツマイモやトウモロコシ、豆など甘く煮たチェー(ベトナム風ぜんざい)など自然由来の甘味がほとんど。圧倒的な食文化の差に驚いた。 [...]
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