グエン・ティ・トゥエット・チン
ビンズオン省の発展のため 子どもたちに日本語と日本文化を伝えていきたい 日本語教師、 「ゆき先生の日本語センター」創立者 グエン・ティ・トゥエット・チン ベトナムと日本で日本語教育の訓練を受けたグエン・ティ・トゥエット・チンさん。ビンズオン省に住む子どもたちがマンガやアニメについて自由に交流し、日本文化も学んで体験できる場所を作りたいと考え、日本語センターを設立した。日本語とのかかわりと、子どもたちに日本語を教えることの意味を聞いた。 日本語教育に力を入れるビンズオン省 日本文化も伝える場を立ち上げ 2009年、ビンズオン省は中学・高校生の日本語教育を推進するため、ホーチミン市師範大学で日本語を学ぶ生徒を募集した。当時高校を卒業したばかりのチンさんはこれに応募し、選ばれた。 「実は、日本や日本語が好きで応募したわけではありません。企業や工場が多く集まるビンズオン省で日本企業の進出が進んでいて、日本とベトナム、特にビンズオン省との協力関係が広がっていると感じたんです。だったら日本語教育も発展するポテンシャルが高いと思い、応募することにしました」 2013年に卒業したチンさんは、ビンズオン省の中高生に日本語を教え始めた。 「生徒たちの多くはマンガやアニメなど、日本文化が大好き。でも省内には日本について学んだり体験したりできる場所がまだなかったのです。そこで、日本での研修を終えた後、2019年にビンズオン省で『ゆき先生の日本語センター』を立ち上げました」 センターでは日本語に加えて、日本の文化やマナーを伝えることも重視。設立当初は小中学生が対象で、週3回のレッスンのうち1回は日本文化を紹介する授業にあて、茶道、おにぎりの作り方、祭りなど、日本文化を紹介した。しかし当時の保護者たちは、子どもがマンガやアニメ、コスプレに熱中することをよく思わず「無駄な趣味」とみなす人が多かったという。子どもたちを日本語センターに通わせることに否定的な保護者たちを目の当たりにして、チンさんは彼らのそんな考え方を変えたいと思った。 「学びへの意欲は興味や趣味から生まれます。何かを好きになれば、自動的にそれを深く追い求め、結果学びにつながると思っています」 そこで、日本文化の授業ではゴミの分別や食事の後片付けなど、日本の子どもたちが身につけるマナーを教え始めた。しばらくすると、保護者たちは子どものマナーがよくなってきたことや、子どもたちが自らインターネットで日本語を学ぶ姿などを目にし、安心して信頼を寄せるようになった。 [...]
山本 遊(やまもと ゆう)
ミシュランが認めたソムリエ ベトナムは人生の全てを変えた ルア/ヘッドソムリエ 山本 遊(やまもと ゆう) 2023年にベトナムで初めて発行された『ミシュランガイド ハノイ ホーチミンシティ』。セレクテッドに選ばれたビストロ「ルア/LỬA」で、ヘッドソムリエとしてワインの多彩な楽しみ方を提案しているのが山本遊さんだ。山本さんは店と共に同誌でベトナム初の「ソムリエアワード」を受賞。世界が認めたワインの伝道師がベトナムを語る。 ソムリエとして掴んだ栄冠 ワインの新たな価値観をベトナムに 2023年6月にハノイで開催されたミシュランガイドの授賞式。そこで山本遊さんの名は一躍国内外に轟いた。特別賞のひとつ「ソムリエアワード」が贈られたのだ。ソムリエとしての技術や知識のほか、ベトナムで知られていない数々のワインを意欲的に取り入れるなど、ワインの普及に対する貢献が認められての受賞だった。 「本当に人生が変わる程の影響がありました。日本人だけでなく、ベトナム人や各国の旅行者など、店のお客様も増えました。当然、高い期待が寄せられますが、それも良いプレッシャーと感じています」 日本でソムリエとして約15年間にわたり飲食業界の第一線を走ってきた山本さんだが、ベトナムへ渡ったのは2021年のこと。ミシュラン星付きレストランで勤務し、海外で働くチャンスを伺っていた折に受けた、ビストロ「ルア」オーナーシェフからの誘いがきっかけだった。しかし、いざ渡越してみると日本や他国との違いを感じることもあった。 「当初のベトナムには、ワインの種類がまだ多くありませんでした。しかし、よく探してみると、現地ではあまり知られていないけれど、海外で良いとされる掘り出しものが手に入ることもあるんです。昨今のベトナムはワインブーム。今後は世界的な品が入り、種類も増えてくると期待しています」 [...]
ゴー・トゥアン・アン
日越の考え方や労働文化の違いの調整役 日本企業のビジネス環境づくりに貢献したい トランスコスモスベトナム/副社長 ゴー・トゥアン・アン 立命館アジア太平洋大学の経営学部を優秀な成績で卒業後、日本での会社勤めを経てベトナムの日系企業「トランスコスモスベトナム」に入社したアンさん。コールセンターやデジタルマーケティングなどのビジネスプロセスアウトソーシング(BPO)産業にも精通し、会社からの信頼を得て現在は副社長を務めている。日本の文化と規範をよく理解している強みを活かして、日系企業のビジネスに貢献している。 外国人を歓迎してくれる 温かい日本に出会えてよかった 「高校時代、日本の印象は非常に薄かった」というアンさんは、あるセミナーで立命館大学の奨学金制度を知った。海外へ出るチャンスだと応募して無事に合格したものの、海外留学での生活を知らず地震も恐れていた両親は大反対。冒険好きなアンさんは、それでも日本留学を決行した。 「渡航前に日本語を学ぶ時間は3ヶ月しかありませんでした。授業はすべて英語で行われたので、日本語をできるだけ上達させて日本の生活に早く溶け込むために、和太鼓クラブに入って日本人の友人をたくさん作りました。おかげで日本語だけでなく、努力や勤勉の意味も学ぶことができました」 入部当初は、「ただの趣味の活動なのに、どうしてこんなに厳しい練習をしなきゃいけないんだろう」と、かなり煩わしく感じていた。その思いは、ステージで演奏した時に一掃された。 「観客からの熱い声援は感動的でした。1つひとつの活動や仕事に真剣に取り組むことの大切さを実感しました」 日本自体にあまり関心がなかったアンさんが、日本留学を通して「この国と長く付き合いたい」と思うようになるまで、そう時間はかからなかった。 「日本人はとても親切でした。来日したばかりの頃、道に迷っていると通りがかりの人たちが車で目的地まで連れて行ってくれたことがありました。また、欧米諸国に比べて、日本は外国人の就労を積極的に受け入れています。おかげで、日本が身近に感じられるようになりました」 成績優秀だったアンさんは、文部科学省から奨学金を受け、将来の日越関係の発展に貢献するためにグローバルビジネスリーダー育成プログラムに参加。卒業後は、東京の日本企業に就職したものの、家庭の事情でベトナムへの帰国を余儀なくされた。ホーチミン市の日系企業での勤務を経て2015年に「トランスコスモスベトナム」に入社し、現在は同社の副社長を務めている。 仕事における考え方や進め方 [...]
種田 基希(たねだ もとき)
ベトナムの魅力をカメラで切り取る 写真を通じた日越交流 フォトグラファー 種田 基希(たねだ もとき) 時にしっとり、時に爽やかに。ファッショナブルでありながら、シネマティックな色合いと南国の空気感を纏ったエキゾチックな人物写真が魅力の写真家・種田基希さん。現地の人々が見せる仕草や表情、ファインダー越しにそれらと日々向き合い続ける彼にとってのベトナムの魅力とは。 現地写真家の作品に衝撃 職を辞し、一路ベトナムへ 「北海道の写真館で勤務していた時にできた友人が、ベトナム人の技能実習生だったんです。そこでベトナムの写真事情に興味がわき、現地の写真コミュニティを調べてみると凄い写真家がたくさんいました。彼らのスタイルは日本とは全く違う。そこで、この国をもっと知りたいと退職し、2020年にホーチミン市へ移住しました」 七五三や家族写真など、写真館で日本スタイルの撮影に明け暮れていた種田さん。日本ではふんわりとした雰囲気の写真が流行りだったが、ヨーロッパ風のメリハリあるスタイルと、中国や韓国風のポップな色彩を合わせもつベトナムの写真に衝撃を受けた。そこでコミュニティに連絡を取ると、「よかったら話をしよう」、「スタジオをぜひ見に来てよ」と好感触。新たな出会いに胸を膨らませ、ベトナムの地を踏んだ。 「全てが新鮮でした。日本では写真は綿密に計画を立てロジカルに撮るもの。しかしここではスタジオであっても感覚的に、その場の雰囲気や状況に合わせて自由に組み上げていました。ホーチミン市には小さなスタジオが大量にあり、それぞれがコンセプトやテーマに沿った創作活動をしている。利用料金も手頃で、気軽に撮影できる環境が整えられていることに驚きました」 ベトナムで自身の作品を作るにあたり、モデルはベトナム人を起用した。フェイスブックで公募すると、すぐに100人程の応募者が集まった。 「内容を読んでいないのか、募集要項に沿わない人からの応募が多く、選考が厳しい時もありました。しかし、写真好きな国民性からか、アマチュアながら高いスキルを持つ人も多い。ポージングやセンスに違いがあるため、指示出しには今も苦労しますが、得意なポーズを厳選するなど、モデルさんの個性を生かすような撮影を心がけています」 ヘアメイクや衣装など、撮影には他のサポートスタッフの存在も欠かせない。 [...]
レ・ユイ・リン
日本の支援で起業の夢を実現 IT人材不足の問題解決に貢献したい テックゼン/代表取締役 レ・ユイ・リン IT企業を立ち上げる夢を実現するために、日本に留学したレ・ユイ・リンさん。日本のソフトウェア企業でシステムエンジニアとして経験と実績を積み重ね、ベトナム帰国後に「テックゼン/Techzen」社を立ち上げた。ベトナムと日本のIT分野の架け橋として、日本における高度IT人材不足の課題解決の一端を担っている。 日本での留学と就労を通して IT分野での知識と経験を積み重ねる ベトナムの発展においてITの重要性を強く認識するリンさんは学生時代、ITを学びながら将来は起業を夢見ていた。2007年にフエ国立大学を卒業後、留学支援制度を提供しているドンズー日本語学校に入学して奨学金を獲得し、日本留学を実現させた。 「夢を実現するためには、留学して先進国の知識や経験を学ぶ必要があると考えました。日本人がもつ自ら進んで常に学ぶ姿勢は、夢に向かって努力する私に大きな影響を与えてくれました」 来日当初、リンさんは生活費を稼ぐために、早朝から新聞配達をしたり、夜遅くまでうどん屋でアルバイトをした。生活はかなり苦しかったが、アルバイトの合間を縫って勉強に励んだ。山梨大学大学院で修士を修め、ソフトウェア企業のアドソル日進に就職してからも、この努力は続く。昼休みも電車の中でも時間を惜しんで勉強し、社内の研修制度での資格取得を目指した。 「日本人の友人たちは、自己学習力が非常に優れていました。日本の教育では実践的な知識を教えなくても、自ら学び続けていくことで仕事で早い成長を遂げるのだと思います。そんな彼らを見て、一生懸命に知識を積み重ねていけば自分の能力が向上することを認識しました」 こうした努力の甲斐あって、リンさんは次第に社内で信頼されるようになり、重要な大型プロジェクトを任されるようになった。 ダナンでソフトウェア開発や、IT人材育成、オンライン教育プラットフォーム事業などを展開する「テックゼン」社を設立したのは2022年1月のことだ。 「社名の『テックゼン』は、テクノロジーと禅の思想から名付けました。刻々と変化する社会に適応しながらも、安定した基盤とビジョンを維持するという意味を込めています」 起業の夢が叶ったのは、 [...]
青野 茂和(せいの しげかず)
大切なのは相手の立場や気持ちへの思いやり 覚悟をもってベトナム人を一人前に育て上げたい 祥設計/専務取締役、 設備設計一級建築士 青野 茂和(せいの しげかず) 建築物の設備設計を専門として活躍してきた青野茂和さんは、「思い立ったら即行動」の人。大手設計事務所での経験を皮切りに実績を重ね、持ち前の決断力と行動力で富山から東京、ベトナム、カンボジアと拠点を拡げてきた。各国を行き来する中、それぞれの拠点を管理できているのは、関わる人々と正面から向き合う姿勢にあった。 やる気とガッツのあるベトナム人を 時間をかけて丁寧に育てる 設備設計の専門家として、日本、ベトナム、カンボジアを飛び回る青野さん。大手設計会社で病院や福祉施設の設備設計を手掛け、その後は「使う側の思いを理解した設計がしたい」と、病院で増築や改修工事など現場寄りの経験を積んできた。 同時に経営を学ぶために参加した日本青年会議所(JCI)のイベントで、初めてベトナムを訪れた。父親が東南アジアに長く暮らしていたことから、抵抗感はとくになかったと話す。 「ベトナムだったのは、たまたまです。当時も若い人が多くて活気がありました。それに日本の建物はリノベーションが多いのですが、ここは新築の建物が多いのも印象的でした」 実際に現地を見た後、どうやったらベトナムの人と接点が取れるかを考えた青野さんは、自社の関東事務所でベトナム人のアルバイトを採用しつつ、同時にホーチミン市を行き来しはじめる。ホーチミン市建築大学を直接訪れてアルバイトを採用し、日本の改修案件の図面をCAD(Computer-Aided Design/コンピューター支援設計ツール)でトレースする作業などをしてもらいながらベトナムでの展開を模索していった。 [...]
嶋崎 豊(しまざき ゆたか)
ベトナムとの出会いが人生を変えた この国の溢れる魅力を多くの人に届けたい ウォーキングハノイ・ ダナン・ベトナム/運営 嶋崎 豊(しまざき ゆたか) グルメやショッピング、観光スポットなど、ベトナムの多彩な情報を網羅する観光情報まとめサイト「ウォーキングハノイ/Walking Hanoi」。姉妹サイトの「ウォーキングダナン/Walking Danang」や生活情報誌「ウォーキングベトナム/Walking Vietnam」など、各媒体を通じ現地の魅力を余すところなく伝え続ける嶋崎豊さんは、「ベトナムは第2の故郷」と語る。心からベトナムを愛して止まない彼に、その魅力と想いを伺った。 駐在をきっかけに開設した現地情報媒体 多彩な魅力を伝えるべく街を駆ける ウェブサイトでコラムを執筆するなど、ハノイ観光業界の人気キャラクター「人生ユタカ」の名でも知られる嶋崎さんが、ベトナム暮らしを始めたのは2016年のこと。オフショア開発やウェブ制作を行う現地日系企業へ駐在員としての赴任だった。そんな折、ベトナムを出張で訪れた親会社の副社長が自社メディアの設立を提案。同社は日本でホテルなど観光業に特化したウェブマーケティングを得意としていたこともあり、ハノイを中心とした観光情報サイト「ウォーキングハノイ」を立ち上げることとなった。 「当時のハノイには、オリジナルコンテンツで観光情報をしっかりと伝えるウェブサイトがほとんどありませんでした。そこで、自社で取材を行うオウンドメディアを作ると面白いものができるのでは、とのアイデアがきっかけでした」 [...]
グエン・フォーン・ニー
幼い頃から縁があった日本とベトナムが 理解し合い、助け合う関係作りに貢献し続けたい ジャパンベトナム ライブストック/ プロジェクトコーディネーター グエン・フォーン・ニー 幼いころから日本との縁が始まったグエン・フォーン・ニーさんは、日本政府の奨学生となり、2019年の大学卒業後は総合商社の双日に入社。一貫してベトナムにおける農業関連の事業投資に関わりながら、ベトナムと日本の共通点と相違点を身をもって学び、現在は両国の合同事業においてベトナム人と日本人の相互理解を促しながらプロジェクト全体をコーディネートしている。 幼少期を過ごした日本に戻り 学業とコミュニティ活動にいそしんだ学生生活 農業研究者である父親が茨城・つくば市で働くことになり、ニーさんは小学3年生から4年生にかけて日本で生活した。ベトナムに戻った後も、日本の友人たちと過ごした日々は忘れ難い思い出となった。 「いつか日本に戻って幼馴染と再会したい、その時は流暢な日本語で喋りたいという一心で、当時ハノイで日本語教育に力を入れていた外国語大学付属高校に入り、卒業後は日本へ留学する夢をずっと抱いていました。幸運なことに2014年に奨学金を取得でき、日本との縁が再び繋がりました」 日本では一橋大学商学部に入学。学業と並行して、ニーさんは在日ベトナム青年学生協会(VYSA)にも積極的に参加し、3年目には同協会の会長に就任した。 「私にとって本当に一生に残る思い出でした。VYSAは母国を離れて日本に来たベトナム人同士をつなぎ、困難な時にお互いを支え、海外生活での喜びや悲しみを分かち合えるコミュニティを作るのが使命です。学生をはじめとする在日ベトナム人の生活を全面的に支援することで、みんなが日本での暮らしをより楽しめ、より日本を好きになることに何よりも幸せを感じました」 ニーさんの一番の思い出は、ベトナム人学生と日本企業をつなぐ就職フェアだ。 「VYSAが主催する就職フェアは、数えきれないほどの日本人の方々から支援していただきました。イベント会場を安価で貸してくれたり、ベトナム人スタッフを必要としている日本企業に参加を呼びかけてくれたり、ベトナム人学生の多い大学にイベントの告知をしてくれたりしました。おかげでフェアは成功し、ベトナム人学生と日本企業をつないだことで、間接的に両国の架け橋となる人材を増やせたかと思います(笑)」 [...]
前川 貴則(まえがわ たかのり)
日本とベトナムをITで繋ぎ 両国の発展の架け橋となる オー・シー・ジー・テクノロジー/ ビジネスデベロップメント・ シニアマネージャー兼CEO補佐 前川 貴則(まえがわ たかのり) 東日本電信電話株式会社(NTT東日本)のグループ関連会社である「オー・シー・ジー・テクノロジー/OCG Technology(OCG)」で、前川貴則さんは現地エンジニアの技術を生かしたソフトウェア開発事業を推進している。見据えるは、両国が抱える様々な課題解決。日越の未来をつなぐ同社事業に長年携わってきた前川さんのベトナムへの想いとは。 思いがけないベトナムとの再会 密なコミュニケーションで信頼関係を構築 「2023年から始まる今回の出向は2度目の赴任となります。しかし、実は1回目である2017年のさらに前、2014年に旅行でベトナムを訪れたことがあるんです。自分では忘れてしまっていたのですが、その時に『この国で生活し、この国の発展の為に貢献したい』と一緒に旅行をしていた友人に話していたようで。そこからわずか3年後に赴任、さらに今回2度目の駐在となり、驚きました」 将来、自分が関わることになるなど想像もしていなかったベトナム。しかし、道行く無数のバイクや街や人の活気を前に、活き活きと目を輝かせていた。そんな彼のベトナムでのミッションは、NTT東日本のソフトウェア内製プロジェクトチームの立ち上げとノウハウの蓄積や人材の輩出。加えてオフショア拠点の立ち上げや体制拡充の促進と、どれも現地ベトナム人エンジニアと深く関わる内容で、慣習の違いに戸惑うことも多かった。 「オフショア開発には当然ながらセキュリティの担保が必須です。機密情報や個人情報の管理もシビアに求められます。しかし、当時は部署のドアが開け放たれていたり、重要書類が机の上に放置されていたり。セキュリティの意識の違いに驚かされました。改善を促すものの、こちらの方が便利などの反論も多く、情報共有のための報連相が徹底されないことも多々ありました」 [...]
グエン・チューン・トゥ
ベトナムと日本の相互理解で 日本基準の高度IT人材の育成を GMOフィナンシャルホールディングス/ITエンジニア グエン・チューン・トゥ 経済的に恵まれない家庭で育ったグエン・チューン・トゥさんは、ホーチミン市工科大学に入学後、優秀な成績を収めて日本に留学。日越文化交流活動やボランティアへの参加を通して日本人の考え方を学んだ経験を生かして、ITエンジニアとして日系企業とベトナムIT人材をつなぐ役割を果たしている。 極寒の冬に贈られたコートの温かさ 文化交流や被災地ボランティアに積極的に参加 ホンダ製のバイクが10年以上も使える耐久性を備えていることから、日本の技術の素晴らしさを知ったトゥさんは、いつか日本に留学したいという夢を子どもの頃から抱いていた。2006年にホーチミン市工科大学の電気電子情報工学部に入学すると、新潟の長岡技術科学大学による「日本語のできる指導的技術者の育成」を目指すツイニングプログラムに参加。その後、日本語と大学の総合成績でツイニングプログラムの1位に輝き奨学金を獲得し、2009年の冬に長岡に留学した。 「寒くてたまらなかった私に、留学生の支援グループから古着の毛皮のコートをプレゼントしてもらいました。本当に暖かくて、とても貴重なものでした。日本人の温かさを感じた最初の思い出です」 留学中は同大学の留学生が集まる国際交流同好会(NUTiSA)に所属し、長岡市日越交流イベントで司会を務めるなど、ベトナムを日本人に紹介する活動に積極的に参加した。また、大学院修了後に上京してからは、日本企業で勤務しながら、ベトナム料理教室を行う非営利団体「ベトアジ/BETOAJI」でレシピを書いたり、食材を用意したり、ベトナム料理の作り方を日本人に教える手伝いをした。 「こうしたイベントや活動を通じて、伝統衣装のアオザイや、ベトナム北西部の少数民族のバンブーダンス(Nhảy Sạp)など、ベトナム文化に興味をもってもらえることが分かりました」 2011年に東日本大震災が発生し、多くの人々が避難所での生活を余儀なくされた。トゥさんは、学校へ行けない子どもたちに科目を教えるボランティアに申し込んだ。 「金銭的な援助はできなくても、自分の力と知識で困っている人を手伝いたくて。子どもたちに英語や数学を教えたり、お年寄りなどと話をしたりしました。ボランティアに参加した短い時間の中で、特に日本人の粘り強さを知りました。大変な状況にあっても、決して屈することなく読書や仕事、勉強といった日常生活を維持していたことが印象に残っています」 ベトナムと日本の考え方の違いを知り、 [...]
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